めざましTVで手力火祭が放映されました。クリックすると見られます
岐阜県重要無形民俗文化財に指定
300年以上の歴史
手力雄神社の火祭りは、現在、毎年4月の第2土曜日に岐阜市蔵前の手力雄神社境内で行われる特色ある神事芸能。火祭りの起源は明らかではないが、江戸時代になって盛んになり、明和年間(1764〜1772)に紛争があって中絶した。しかし、文化2年(1805)になって復興し、現在に及んでいる。『新撰美濃誌』(岡田文園)には、「例祭九月十四日花火を興行す。遠近の諸人見物に来る。比類なき壮観なり」と記述されているが、この記載のように、明治44年(1911)までは陰暦9月14日に執行され、大正元年(1912)から陽暦に改めて、10月22日を例祭に決め。そして、昭和37年(1962)から、秋祭りを春祭りに変更して4月5日に行われるようになった。この火祭りは、氏子の旧13か村が一本ずつ建てて、その竿の長さを競う御幣行燈、長い木製の竿上の筒束から落下する火瀑を浴びる禊、仕掛け御輿、舞火、立火等によって構成されている。その内容は、時代の変化にともなって変遷がみえ、明治年間に盛んであった打ち上げ花火は、住宅地域での火災予防という問題から、三寸玉以下による号砲を除いては、現在は行われていない。また、行事の最後にダシ山を花火で一瞬のうちに爆破する山焼けも、現在は行われていない。歌舞伎の外題によって人形を飾りつけて場面を構成したダシ山も、昭和41年(1966)を最後に姿を消し。一方、これに代わる形で、昭和40年代初めごろから、落下する火瀑の下に、花火を仕掛けた御輿をつり込み、火瀑の火によって点火させる仕掛け御輿が行われるようになり、現在に及んでいる。滝のように降り注ぐ火の粉の中、火薬を仕込んだ神輿を担ぐ上半身裸の男達。神輿の火薬に火がつくと神輿からも火の粉が吹き上がり迫力満点です。その間を鐘を鳴らしながら乱舞する男達、爆竹の轟音・・・まさに音と火の勇壮な祭りです。また、毎年祭りにあわせて参道の鳥居にかけられる長さが約12.5m、最大直径3m、重さ約1トンという大しめ縄も見物です。 |
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手力の火祭・夏2008(動画) <勇壮、手力の火祭を再演 男衆が心意気> 岐阜市長森蔵前の手力雄神社に伝わる伝統の火祭りを再演する「手力の火祭・夏」(GIFUナイトビュー事業実行委員会主催)が10日夜、岐阜市長良福光の長良川公園であり、男衆の熱気と降り注ぐ火の粉に約3万2000人(主催者発表)が酔いしれた。1988(昭和63)年の「ぎふ中部未来博」のイベントで実施したところ好評だったことから、翌年から定期イベントとして開かれている。今年で20周年を迎えた。本場の火祭りと同じように飾りみこしが、爆竹の音とともに会場に登場。高さ約15メートルの滝花火から火の粉が激しく降り注ぐ中、みこしの花火に引火して炎が吹き上がると祭りは最高潮に。上半身裸の男衆は全身に火の粉を浴び、心意気を見せていた。 岐阜新聞記事(2008.08.12)よ |
手力火祭2008(動画) 手力の火祭で3人がやけど みこしの花火倒れる 2008年 4月12日午後8時10分ごろ、岐阜市蔵前の手力雄神社の境内で行われていた「手力の火祭」で、みこしの屋根に取り付けられた花火の筒が倒れ、担いでいた同市切通の自営業Aさん(45)が上半身などに全治2カ月のやけどを負ったほか、同所の会社員Hさん(28)と同所の大学生Mさん(19)が軽いやけどを負った。岐阜南署の調べによると、みこしの屋根には直径約15センチ、長さ約50センチの花火の筒4本を設置。火花を散らせながら男性らがみこしを担いでいたが、境内に立てられた柱を地面に固定しているロープに筒がひっかかり倒れたという。 観客約2000人がいたが、規制線が張られており、けが人はなかった。 <2008. 4.13 新聞記事より> |
写真をクリックすると動画が見られます 平成19年4月14日撮影
切通の滝花火が東中島の滝に飛び火した瞬間が撮影。
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滝花火(動画) |
切通(動画) |
各町内宮入(動画) |
山(写真) |
山(写真) |
山(写真) |
クリックすると切通町の宮入(飾り神輿)の動画が見られます
写真をクリックすると大きく表示します 平成18年4月8日撮影
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手力雄神社 ( 岐阜市蔵前6丁目8-18 ) 交通マップ |
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